SDGsの未来

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いまさらSDGsを超簡単に整理してみます

SDGsとは

SDGsとは、国連で決めた世界共通の目標のことです。私は数年前に知りましたが、中学生の息子は既に知っていて、ショックを受けた記憶があります。今では、テレビや新聞などでもあたりまえに耳にするようになりました。一部の批判する人はいるものの、そのうちもっと注目され、もっといろんなところで議題され、耳にするようになるでしょう。ただし、SDGsという名称ではなく、その中身の議論についてですが。

朝起きてテレビつけてスマホを見て、朝食を食べ、仕事や学校に行く。こんな当たり前の日常ですら、世界中の誰かが犠牲になっているかも知れません。すなわち世界では、レアメタル・レアアースをめぐって紛争がおき、無計画な畜産が水不足を引き起こし、人の移動がエネルギー環境問題を引き起こしているのです。

実はSDGsの前には開発国を対象としたMDGsが採択されました。それが達成されなかったので、SDGsが採択されました。「持続可能な開発目標」と翻訳され、貧困、飢餓、教育、エネルギー、環境などの課題に対する目標を17分類しています。違いは「具体的な目標設定」「対象が先進国も含まれる」「公的機関だけでなく営利法人も携わっている」です。

要するに、各国の努力だけではダメで、世界みんなで協力しないと地球が共倒れになるから、包括的に課題をまとめたのです。

”サスティナブル”が分かりづらい

ところで「持続可能な開発目標」ってピンときますか?それよりも「貧困をなくそう」の方が理解しやすいですよね?SDGsは17分類169の具体的な目標と多岐にわたりますので、一度に理解するのは難しいと思います。しかしそれよりも難解な点は「持続可能(サスティナブル)」という概念ではないでしょうか。読めるし理解できるけど、いまいちしっくりこないですよね?

これまでの社会の多くは持続可能ではなく「その場しのぎ」でした。一つ問題が解決すれば、また別の問題が起きる。例えば「貧困地域に古着を送る」ボランティアは助かる人がいる一方で、その地域の衣類産業を潰してしまいます。そうして職を失った人々は貧困におちいってしまう。これでは、持続可能とは言えませんよね?このように感情のままに善意を示すことが、持続可能とはかぎらないのが難しい理由です。

ヨーロッパの発想

実は、日本人が本来的にもう一つピンとこない理由があります。それは、パリ協定に基づいたSDGsはヨーロッパ文化圏の発想だからです。ですから、SDGsの達成率が軒並み高いのは、人権意識や企業の責任、環境などの問題意識がもともと高いヨーロッパ諸国です。ですから私たちとはもともとの問題意識が違うのです。

例えば、「人権」という概念がなかった江戸時代の日本において、「”辻斬り”はは人権侵害だからダメだ!」と訴えても、通じなかったでしょう。だって、「人権」という概念そのものがなかったのですから。

例えば、昔の正式な座り方は”あぐら”でした。偉いお坊さんはみんな”あぐら”をしていました。しかし、お葬式で「これがもともとの座り方だから!」といって、みなさん正座ではなく”あぐら”で座れますか?できませんよね。感覚が違うのだから。

これと同じことです。SDGsとかESG投資といっても、まあ、意味が分かるけど、いまいちピンときませんよね。それは、日本人になじみの薄い、ヨーロッパ発の概念だからなのです。

善でも悪でもない

「なんだ。ヨーロッパに有利なルールだからズルい」と思われるかもしれません。しかし、「ヨーロッパのイデオロギーだから悪い」というわけではありません。なんとなく「SDGsはいいこと」というのも違います。国連で各国みんなに採択されたルールにですので、善も悪もないのです。感情で周囲の風潮に流されずに、客観的・理性的に考えることが大切です。大事なことは、ゲームのルールをよく理解し、逆に使い倒すことです。

本当の価値とは

ルールがどうであれ善の心で適用すればルールは活きますし、悪用すれば悪法にもなります。法華経のイデオロギーは「すべてのものを幸せの境涯に」とも言えますので、行動原理にこれさえあればルールは活きます。

しかし、言葉だけが独り歩きし、SDGsという言葉が消費され陳腐化すれば、深く考えもせず、調べもせず、錦の御旗を掲げれば、何かいい事している気分になる。。。これでは、ルールの意味がありません。

どんな社会問題も、まずは正しく知ることから始まります。SDGsの先にある社会問題と自分たちの関係性を正しく知り、考え、行い、決心する。すなわち本当の価値とは、八正道によって正しい方向に導くことなのです。

そういった心持ちで考えれば、貧困地域に古着を送ったり、ウクライナに千羽鶴を贈る等、無駄な善意がかえって現地の妨げになることはないと思います。支援物資はとても助かる行為ですがあくまで一時的な応急策です。善意を示すのは相手が受け取れる状況になってからです。

魚を与える事は持続可能ではありません。依存心が芽生えると人は自立できないからです。魚の釣り方を教えるのも、まだまだ不十分です。所変われば釣り方も変わるからです。仏さまなら、その人なり魚の釣り方を引き出すことを考えるでしょう。

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