いまいち伸び悩んでいる方へ
「勉強が足りない」「知識が足りない」「経験が足りない」「努力が足りない」などなど・・・。
これ、もう聞き飽きましたよね?そんなの分かってますよね?
でも、あなたはこうも思っているかも。。。
・何から手を付けていいのかわからない
・勉強の範囲が膨大すぎる
・経験を増やすには時間がかかりすぎる
・あーもー、ムリ、、
今回は、こういう、「いまいち伸び悩んでいる方」「成長の実感がない方」への、一助になればと思っております。
「知る」を解っていない
最初に結論です。
あなたに足りないのは、経験でも知識でも努力でもありません。
「知る」を解ってないということです。
「あー、はいはい。結局、勉強しろってことね」と思ったあなた。残念ながら、それでは今後も一生あなたは、ジリ貧確定です。ちなみに、仏教では、きちんと理解することには「解」という漢字を使います。
「knowとunderstandの違いでしょ?」と思ってるあなた、これでは不十分です。「応用が効く深く理解することね」と思っているあなた。やはりこれでも不十分です。
知る≠記憶にとめる、知る=心でとらえる
これがどういうことか、説明します。
仏教の例
仏教では、成仏という幸せの境涯に至るために、例えば「四諦」を学んだり「十二因縁」を学んだりします。でも、正直「なんのこっちゃ?」です。私も深く解っていません。一応、以下に書いておきますが、、、
四諦
苦諦:人生が苦しみである
集諦:苦しみの原因は煩悩である
滅諦:煩悩を滅せばよい
道諦:悟ればよい
十二因縁
無明:無知
行:作用
識:識別
名色:事象の形と名前
六処:目、耳、鼻、舌、身(触覚)、意(心)の6つの感覚器官
触:感覚器官で感じる
受:認識
愛:好き嫌いの判断
取:執着
有:存在
生:生まれること
老死:老いて死ぬこと
ね?「なんのこっちゃ?」ですよね。
きっとあなたが知りたいのは、「起業するには、まず実印を作って、お金を用意して、次に登記して、それにはお金がいくらかかって、、、」みたいに、具体的に自分がどうすればいいか、参考になる情報ですよね?
でも、きっと、だから、そういう人は伸びないのだと思います。その状態を、解ってないといいます。仏教では、そういうのを、増上慢といいます。だからお釈迦さまは、段階を踏んで、幸せの境涯に至る方法を順序だてて教えられました。いろんな人にあった教えを説いたので、だから今、めちゃくちゃたくさんのお経があるのです。
しかし、一番大切な真実の教えである法華経を説く前には、もう、段階を踏んで教えませんでした。しかも、開口一番なんて言ったかというと、「これまで教えてきた教えは、全部方便だ!」といったのです。ですから、大勢のお弟子さんたちは、離れていきました。この、離れていった人たちのことを「増上慢」というのです。
なんだか似てませんか?「どこかに答えがあると思って、でも、誰も教えてくれなくて、いわれる言葉は『勉強しろ』『努力しろ』。そうして、やる気を失う」
でも、増上慢が去っていった直後、次々と真実が明かされていきます。そうです。もしかしたらあなたは、ブレイクスルーの直前にいるのかも知れないのです。
頭で解ろうとしない
解るということは、頭でおこなうものではありません。というより、頭と身体は、厳密に不可分です。ですから、知識だけではなく身体性を伴ってはじめて、人は解ります。
どゆこと?
例えば、
They didn’t know your god’s .
これ、どう訳します?まぁ、状況にもよりますが、「彼らはあなたの神を知らなかった」となりますかね?では、他の訳は思いつきませんか?例えば「彼らはあなたの神を認めなかった」こう訳すこともできるはずです。こういうことです。
まず、「know=知る」と決めつけるから、「認める」という訳が出てこないのです。しかし、英語が堪能でなくても、「日本語と英語はイコールとは限らない」という、普遍的なルールを知っておくと、柔軟性がでてくるし、単語のコアイメージをあなたの身体にしみ込ませておくと、あとは、その時の状況に応じて理解できるのです。単語のコアイメージを身体にしみ込ませるとは、身振り手振りを交えて何度も口に出して練習し、実際に英語圏の人に使ってみて、身体で覚えることです。
これに似てます。知ろうとするとき、まず、あなた自身の思いがあるから、その範疇からあなたは抜け出せなくなる。だから、たとえあなたが初めての体験をするにしても、初めてのことを学ぶにしても、あなたが想定しているある程度の範囲の中鹿、あなたの頭の中にあることしか、あなたはは体験できなくなる。あなたは学べなくなる。こういうことだと思います。
あぁ、ちなみに、私は英語がとても苦手なので、つっこまないでね。。あくまで、”たとえ”です。
普遍的なルール
全章で、私は「普遍的なルール」といいました。これが結構大切です。
いあ、なにも、たいそうなルールを言うつもりはありません。普遍的なルールとは、例えばこういうことです。
・人は、他人を完全には理解できない
・人は、真実を完璧に理解はできない
・なぜなら、先入観があるから。
・先入観を完全に壊すことはできない。
・しかし、自分の理解の前提を疑うことで、また、別の理解に近づくことがある。
(今、私が考えたことなので、ツッコミがあれば教えてください。)しかし、これ、当たり前のことですよね?だけど、人は往々にしてこの当たり前のルールを忘れてしまいます。
ここでまた、仏教の話
先ほどの四諦、十二因縁を例にとって説明します。
四諦にしても、十二因縁にしても、「人とはこういうものだ」の話であって、具体的に「こうしなさい」ではありません。しかし、たとえば四諦を考えると、
あなたは伸び悩んで、苦しんでいる
しかし、人生は苦しみである。
そして、苦しみを取り除けば、悟りの境地に至ることができる。ここで、「苦しみ」とは、自分の主観である。だったら、「苦しみ」と受け取らずに、伸び悩むことそれそのものを、楽しめばいいのではないか?
こうは、考えられませんか?
十二因縁も同じことです。
「受」認識して、「愛」好き嫌いの判断をして、「取」成功に執着しているから、苦しんでいるのだ。だったら、「愛」好き嫌いの判断を、好きに転換すれば、前向きになれるのではないか?
こう言うことです。つまり、私たちは、いろんな情報に触れておきながら、記憶にとめることはあっても、心でとらえることはしてないのです。心でとらえるとは、身体にしみ込ませること。つまり、「知る」ができていなかったのです。ビジネス界隈では、実際に自分の身体で試してみて分かる知見を「気づき」と呼んでいるみたいですね。
普遍的なルール
私たちは、身体にしみ込ませるような、この世の普遍的なルールのことを「妙法蓮華経」=法華経と特別な呼び方をしています。ここでいう妙法蓮華経とは、文字に書かれた法華経のことではありません。この世の普遍的なルールのことをそう呼んでいるのです。誤解しないで欲しいのですが、法華経そのものに、分かりやすくすべてのルールが書かれているわけではありません。一通り体験して深く考えないと、解らないようになってます。だけど、それでいい。とりあえず、妙法蓮華経という普遍的なルールを体験して、南無(=信じる)する。これが大事です。
仕事のことでいうと、
・人は、他人を完全には理解できない
・人は、真実を完璧に理解はできない
・なぜなら、先入観があるから。
・先入観を完全に壊すことはできない。
・しかし、自分の理解の前提を疑うことで、また、別の理解に近づくことがある。
これは、多分、誰にでも当てはまる普遍的なルールですよね?だから、あなたが壁にぶち当たったら、一旦冷静になって、自分を客観的にみてみる。頭だけではなく、あなたの身体のすべてを使って、普遍的なルールを考えてみるのです。
あなたと世界は不可分
「身体にしみ込ませる」は、ちょっと抽象的でわからないですよね。だけど、例えば、「漢字を思い出せないけど、手が覚えていた」とか、「歌の歌詞を思い出せないけど、歌ってみたら口が覚えていた」なんてことありませんか?そういうことです。脳は、あなたの身体とつながっていて、同じ血液を共有し、腸で分泌されたホルモンが脳に働きかけたりするのです。つまり、脳と身体は不可分なのです。あなたのアイデンティティーは、脳だけではないはず。あなたの身体すべてがあなたです。
さらに言えば、あなたのアイデンティティーは、あなたの身体だけではないはず。あなたを取り巻く環境のすべてが、あなたを作っている。要するに、「自分」を考えるときに、あなたを取り巻く環境もあなたの一部なのです。こんな感じで、あなたの概念を広げていけば、あなたは世界とつながっているということもできるのです。
あなたが壁にぶち当たった時、伸び悩んでいる時、そういう時って、だいたい、思考が堂々巡りしていたり、内側に向かっていたりするものです。ですから、「世界は、自然は、自分と一体である」とは、なかなかならないでしょうが、あなたも、解決すべき問題も、世界の普遍的なルールの中で構成されているのだと”知る”。
「伸び悩む時、人は苦しむものだ」「思考がループするものだ」「思考が内側に向かうものだ」と、自分を観察し、感じることで、客観的に自分を”知る”ことができると思います。冷静になれると思います。その上で、どんな知識が足りなくて、どんな経験が足りなくて、それにはどういう努力が必要で、どれくらいで習得できて、、、みたいな感じで、頭がクリアになるのではないでしょうか。


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