みょうほうれんげきょう_ほっしほんだいじゅう
現代への布石
今回から前半部の流通分です。法華経はお釈迦さまと弟子との対話によって真実が明かされます。しかし実はこれは表面上の話。お釈迦さまは、すでに序品から未来の私たちへ教えを暗示されていたのです。今回からそれがもっと明確になります。一見すると、薬王菩薩に向けた教えなのですが。さっそく中身を見てみましょう。
法師品のストーリー
多くのもの達に向け幸せの境涯に至ると確約されたお釈迦さま。次は薬王菩薩をはじめとする八万の菩薩たちに告げました。
「薬王よ。ここには天や鬼神・夜叉・阿修羅などの守護神、また、仏弟子や檀信徒、他に施すことを学んだ菩薩たち、人間ではないもの等など、多くのもの達が、この法華経を聞くため集っている。この教えを聞いて、歓喜するものは、必ず幸せの境涯に至る。
それは、私が滅した後でも同じことだ。この法華経の内容を少しでも聞いて、歓喜するものは、幸せの境涯に至る。それどころか、法華経を少しでも見聞きし、信じ、読み、唱え、弘め、書き、皆が私を礼拝するように法華経を供養し礼拝するものは、必ず幸せの境界へ至るのだ。
また未来世にこのようなものがいれば、それは皆から仏の如く礼拝されるべきものだ。なぜならそのものは、過去世において菩薩の修行をして成仏し、仏界に留まることなく法華経を弘めるために敢えて未来の悪世に転生するものだからだ。したがって、仮に未来世に法華経をただ一人に説くものがいれば、それは仏の使いだと心得なさい。ましてや、多くのものに説くものがいれば、言うまでもないだろう。仏の姿はしておらずとも、そのものは仏の教えを身にまとっているのだ。」
苦難に屈せず
またお釈迦さまは、こう続けます。
「私はこれまで、多くの教えを説いてきたし、今も、またこれからも教えを説く。しかし、さまざまな教えの中でもこの法華経だけは、深淵で難解だ。だから多くのものに法華経は理解されないだろう。だからこれまで隠して説かなかった。この教えは真実がゆえに人々に嫌がられ非難される。私ですらそうだったから、ましてや他のものが法華経を説けば、嫌がられ非難されるのは確実だろう。
しかし、忘れてはならない。私が滅した未来世において、法華経を信じ弘めるものは、まさしく菩薩の修行をして幸せの境涯に至るものなのだ。例えば、井戸を掘っても乾いた土であれば、まだ水は出ないと知る。しかしそれでも堀り続けて湿った土が出れば、水が近いと知るだろう。菩薩の修行も同じなのだ。もし、法華経を知らず学ばなければ、幸せの境涯は遠い。しかし、法華経を見聞きして学べば、必ず幸せの境涯は近くにあるのである。なぜなら、幸せの境涯、すなわち成仏は、法華経から生ずるからである。この教えは、方便という巧妙な手段を用い、真実の教えを開く教えだ。仏の知恵は、限りなく深くて難しいがゆえに、簡単に理解できるものではない。だから、他人に施す菩薩の境涯に至った後に、仏はこの教えを説くのだ。
未来の僧侶へ
未来世においてこの教えを見聞きして怖がり疑念を抱くものがいれば、そのものは新たに悟りを求める菩薩であると心得なさい。しかし、この教えを聞いても自分の考えに固執したまま怖がり疑念を抱くならば、そのものはおごり高ぶったものに過ぎない。よいか。私が滅した後にこの法華経を説くには、すべてのものへ慈悲の心を持ち、穏やかな心境ながらも耐え忍ぶ心を持ち、万物の事象は因縁によって生じたものだから見た目や先入観で理解してはならないという真理を知り、そうした上で、皆に法を説きなさい。さすれば、私が支援者を遣わして供養させよう。もし悪口を言われたり罵られたり、危害を加えられるようなことがあっても、使いを遣わせ守護させよう。孤独な時は経文を読めば清浄たる姿を現そう。経文をド忘れすることがあっても、思い出させてあげよう。聴衆がいなければ大勢の守護神を遣わそう。
このように、歓喜してこの教えを弘めるものは、さまざまな障害が取り除かれ、護られる。そして、幾千万ものもの達を幸せの境涯へと導く。もし、この教えを弘める僧侶に近づけば菩薩となり、その僧侶に従って教えを学べば幸せの境涯へと至るであろう。
まとめ
今回から、布教の勧めや法華経の功徳が説かれます。要点は次の通りです。
- お釈迦さまは滅する
- 法華経は深淵なるがゆえに理解しがたい
- 幸せの境涯=成仏とはすべて法華経から
- お釈迦さまが滅した後の世はさまざまな障害がある
- 法華経を弘めるものは仏の使いであり守護される
法華経の僧侶の教えを請い学ぶことが成仏の方法であると、お釈迦さまご自身が教えられているのです。


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