みょうほうれんげきょう_やくそうゆほんだいご
お釈迦さまの補足
真理を悟りすべてのものを幸せの境涯へと導く人を”仏”といいます。お釈迦さまだけが仏ではありません。お釈迦さまは、”仏”というものは方便という巧妙な手段を用いて人々を導くものであると教えられ、そしてまた、これまでのさまざまな教えは方便だと明かされました。それを理解したお弟子さんがたとえ話で対応し、今回はお釈迦さまがそれに補足する内容です。
薬草喩品のストーリー
お釈迦さまは皆にこう告げました。
「仏の功徳の大きさは計り知れない。この法華経は、さまざまの教えの中で最も優れた、まさに”経の王”であるから、ウソ偽りはない。仏は、この世を悟り、その知恵をもってすべてのものに幸せになる方法を教える。その為に、方便という巧妙な手段を用いるのである。例えば、この世には、山や川や谷などさまざまな場所があり、そこに生える草や木や諸々の薬草にはさまぎまな種類があり、その姿かたちは異なっている。そこに厚い雲が広がり、この世すべてに等しく雨が降り注ぐ。この恵みの雨は、小さな草木、中くらいの草木、大きな草木、分け隔てなくすべてを一様に潤す。一つの分厚い雲から降った雨によって、そこに生えるさまざまな草木は、それぞれの素質に応じて成長し、やがてそれぞれの草木は花を咲かせ、実をつける。これらの草木は一つの大地から生じ、一つの雨雲によって潤うが、しかし、それぞれの草木には、それぞれ違いや種別があるのだ。
慈悲はすべて平等に
皆のものよ、肝に銘じておきなさい。”仏”とは分厚い雲と同じなのだ!この世界には神や人、また阿修羅など、さまざまなものたちがいるが、仏の功徳もまた、雨のように、みんなに平等に降り注ぐ。
そして”仏”は、こう告げるのだ。
『仏は、未だ悟ってないものを導き、未だ理解しないものを理解させ、未だ安心していないものを安心させ、未だ煩悩の中で迷うものを悟らせる。今の世の中と後に到来するだろう世の中をありのままに理解する。私は、世の中のすべてをありのままに見て知り、そして幸せへの道を切り開き、その方法を教えるのだ。ここにいる皆のように、神や人、阿修羅達は、きっと教えを聞くために集まるだろう。』
そして、仏は集まった多くのものに教えを説く。仏の教えを聞いたものは、今はもちろん生まれ変わったのちの世も幸せの境涯の中に生まれ、それぞれの持って生まれた運命に応じて、種々の楽しみを得て、またこの教えを聞く事ができる。つまり、それぞれの能力や境遇などにあわせて、”成仏”するのだ。
仏の広大な慈悲は、雨となってすべての草木に潤いを与え、それぞれの草木は、その素質に応じて潤いを吸収するのである。草木にはさまざまな姿かたち、種類、性質があるが、仏の教え、その慈悲とは、実は一つなのである。それは何かというと、すべてのものを幸せの境涯へと至らしめることなのだ。
しかし、それぞれの草木は、自分がどのような草なのか木なのか、自分の本当の性質を知らないがために、自分が一番だと思い込んでいる。だから、未だにみんな幸せになれないのだが、仏は、まだ真実を説かない。なぜならば、真実は理解しがたいからだ。
しかし、決して忘れてはならない。仏の慈悲は、みんな平等であり、かの人この人、愛や憎しみの心などはない。貪著することなく、また、わけ隔てなく、みんなのために、平等に教えを説くのだ。仏の教えは、一人のために説いているようでもあり、多くの人にも説かれているようでもある。仏は、歩いていようと立ち止まっていようと、座っていようと、常に教えを説く。仏の行動はすべて、皆を幸せに導くためなのだ。
菩薩の修行が大事
身分の高低や、真面目に信心しているかを問わず、堕落した人にも、きちんとした人にも、意見の違う人にも、劣った考えを持つ人にも、正しい人にも、清い心を持つ人にも、仏の慈悲は、わけ隔てなく等しく降り注ぐのだ。みんな姿かたち、性格や立場が違うから、方便という巧妙な手段を用いて皆を導いてきたのだが、決して忘れてはならない。これらはすべて仮の教えなのである。ここに今、最も大切なことを教えよう。それは、菩薩という境涯だ。自分だけでなく、他人の幸せのためにまい進することが、幸せの境涯へと至る道なのである。
三草二木の譬え
薬草喩品の内容は以上です。さまざまな種類の草木に平等に雨が降り注ぐ譬えを「三草二木の譬え」といいます。
草木に適切な水の量は種類や季節、土壌等に応じて違うように、仏の平等は、同じ量の水を分け与えるのではありません。慈悲の雨は、常に降り注ぎ、皆、それぞれの時機やタイミングで感じるのです。
次の授記品では、この「補足」を聞いたお弟子さんたちが、次々と悟っていきます。


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