みょうほうれんげきょう_ひゆほんだいさん
六道を超越したい
お釈迦さまの時代、みんな迷いや苦しみの境涯である六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)からの超越を目指していました。しかし、どんなに思い描いても、自分一人で幸せにはなれません。だからお釈迦さまは、声聞・縁覚・菩薩・仏の境涯を明かされ、「成仏」という状態こそが幸せの境涯なのだと教えられます。ところが、声聞・縁覚の境涯の人々は去ってしまいました。ある程度の実力はあるし努力もしているけれど、どこか自分の考えに固執した人々は、本当の真実が語られようとすると、聞くに耐えられなくなったのです。さて、ここからが譬喩品の中身です。
譬喩品のストーリー
すべての疑念が晴れた舎利弗は大喜びし、お釈迦さまに礼拝すると、お釈迦さまはこう予言されました。
「今こそ明かそう。私は遙か昔から方便という巧妙な手段でずっとお前たちを導いてきたから、お前たちは今、この世界に生まれてきたのだ。しかし、立ち去ったものように低い次元の悟りに固執し、勘違いしているものもいる。だから、今こそ私の本当の願いであり私のすべてである菩薩のための教え、すなわち妙法蓮華経を説く。
舎利弗よ。お前は菩薩行を終え、遠い未来に華光如来として成仏する。そして私と同じように、三種類の境涯のものに法華経を説くだろう。華光如来が住むその世界は、如来入滅後の正法・像法と呼ばれる時代も、その功徳が長く続くだろう。」
みんなは大いに喜びます。舎利弗は今一度お釈迦さまに願い、これまでの教えと真実の教えの違いを聞きました。するとお釈迦さまはこう語られました。
三車火宅のたとえ
「仏は方便を用いて人々を導く。それでは、菩薩のために譬え話をしよう。
ある国に金持ちの長者がいた。子供が大勢おり、その家はとても広かったが、塀や壁は今にも崩れ落ちそうなほど古く、出入り口は一つしかなかった。それでも、食べるものには困ることはなかった。
ある日その家が火事になり、火は古い家一面に燃え広がった。ところが、かわいい子供たちは、遊びに夢中で火事に気づかず、驚きも怖がりもせず、状況をまったく理解できない。今すぐ抱きかかえればよいと思うだろうが、大好きな父親が駆けよれば幼子たちは鬼ごっこのように走り回るだろう。大声で子供たちに真実を伝えても、火事が危険なことさえ知らない子供たちは、せいぜい”チラ見”するだけだろう。
そこで長者は方便を用いる。『おーい、子供たち。牛さんや、やぎさんや、鹿さんの車があるよ。すぐに遊べるように、門の外に並べておいたんだ。さあ、走って出ておいで。誰が先に遊べるか競争だ!』長者は子供たちが動物キャラクターの車が好きなことを知っていたのだ。子供たちは火宅から、たちまちに飛び出してきた。
長者は安堵するが、子供たちは納得しない『お父さん、おもちゃは?』。目に入れても痛くないくらいかわいい子供たちに差別を付けたくない長者は、レアキャラの”大白牛車”といって、一番人気の最高級品を全員に与えた。子供たちは皆、これまでに無いほど喜び、心が満たされた。」
方便はウソ?
「さて、舎利弗よ。この長者は子供を助けるために方便を用い、最終的には大白牛車を与えたが、嘘をついたことになるだろうか。」
舎利弗は、お釈迦さまに答えました。
「いいえ。長者は子供を救ったばかりか、子供が望む以上のものを与えたのですから」
お釈迦さまは、舎利弗に語りました。
「お前の言う通りだ。仏もこの通りなのだ。古い家はこの世界をあらわし、子供たちはこの世界に住む者たちをあらわす。長者がそうしなかったように、仏も不思議な超能力を使うことなく、いきなり真実を語ることもなく、方便を用いて、牛=菩薩、ヤギ=声聞、鹿=縁覚の境涯のものたちを導く。そして、最高の教えである大白牛車=仏の境涯に至らしめるのだ。皆のものよ。この教えを聞いて信ずることなく、疑い非難するものは、大火に焼かれ地獄の報いを得るぞ。だから仏は、いきなり真実の教えを説くことなく、まずは方便で導くのだ。
舎利弗よ。知恵浅く、自己中心的な人にこの教えを説くべきではない。しかし、知恵深く自他の幸せのためにまい進するものがいるならば、妙法蓮華経を説かねばならない!」
まとめ
仏様は方便という手段を用います。六道輪廻を抜け出し修行に目覚めた人々は、その真面目さゆえか自分の努力に明け暮れ、得てして、他人に施すことを忘れがちです。が、どんなに努力しても自分一人だけの幸せはあり得ません。周囲が幸せになって初めて真の幸せがあります。それを知るかどうかが仏・菩薩との違いです。
菩薩は、そのことを知って他に施す修行を始める人たちです。ですから、成仏とは菩薩の境涯に至らなければ、あり得ないのです。


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