みょうほうれんげきょう_じょほんだいいち
いよいよ法華経!
さて、序品は妙法蓮華経=(法華経)のストーリー設定部です。お釈迦さまは一言も発しません。前半は無量義経が説かれた状況と同じで、後半は弥勒菩薩と文殊菩薩との会話です。とはいえ、法華経全体の伏線となっています。さっそく中身を見てゆきましょう。
序品第一のストーリー
王舎城という場所の霊鷲山という山で、お釈迦さまが法を説く。これを聞くため、最高の位に達した舎利弗などの聖者たち、不学な者たち、悟りを求める観音菩薩などの菩薩たち、帝釈天などのさまざまな天人や神々、また龍王、阿闍世王、阿修羅王などの王は、数百・数千の家来たちを連れ、集まっていた。エリートのお弟子さんや有名人を含め、学不学の隔たりなく色んな人々が集い、お釈迦さまを礼拝し、讃嘆している。お釈迦さまは無量義経を説き終わった後、瞑想に入られる。すると、大地が震動し、天空から美しい華々が降り注ぎ、天女は舞う。一堂に会した皆はお釈迦さまを礼拝し、決意を新たにする・・・。
その直後のことです。お釈迦さまの眉間から、白い光が放たれ、東方の一万八千の世界が照らし出されました。天界の最上位である有頂天から人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄界の最下層の阿鼻地獄に至るまで、その光が届かないところはありませんでした。
お釈迦さまの光に照らされ、色々な世界が見えました。見えてきた色々な世界には、お釈迦さまのように、それぞれその仏様がおり、それぞれの仏様の下で信心修行をしている人々の光景が見えます。生きる上での悩みや苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみ、みんなそれぞれ違った悩みや苦しみを抱えていますし、信心にも個人差があります。中には回り道をする人もいます。しかし皆、色々な目に遭いながらも一生懸命に幸せの境涯を求めて、信心修行しています。人々を幸せの境涯に導くように、ある世界の仏様は悩み苦しんだお姿を人々に見せ、ある世界の仏様は亡くなったお姿を見せ、ある仏様は滅して、きれいに荘厳されたお墓だけが残っている世界もありました。悩み苦しみがあっても、あるいはその身が滅しても、幸せの境涯に至ることができるとどの仏様も、その身をもって教えられているのです。
このように、お釈迦さまの眉間から発せられた光によって、さまざまの世界の仏様や、信心をする者たちの光景が見えました。しかし皆に一つの疑問が沸き上がりました。
「これまでもお釈迦さまは、さまざまな教えを説かれたが、なぜ今、このような不思議な現象を私たちに見せてくださったのか?」。
お釈迦さまに聞こうにも、今お釈迦さまは瞑想に入って微動だにしません。みんなの疑問を察した弥勒菩薩は、たくさんの仏様にお仕えしたことのある長老、文殊菩薩に尋ねます。すると文殊菩薩はこう答えました。
「皆さん。私が推察するに、今からお釈迦さまは、これまでと違った大切な教えをお説きになられるのです。そして、ここにいる皆さんを幸せの境涯へと導いてくれるでしょう。ただ、この教えは信じ難い。だから、このような不思議な現象を起したのです。ここで一つ、昔話をしましょう。
過去に日月燈明仏という仏様がご出現されました。当時の人もみんなそれぞれ、悩み・苦しみを抱えていました。それから幾千もの歳月が流れ、次にまた、同じ名前の仏様が現れ、こうして、二万回、ずっと日月燈明仏がご出現されました。最後にご出現された時、無量義経を説かれ、今と同じような光景を私は目にしました。そうして、瞑想を終えた日月燈明仏は、最も尊い妙法蓮華経を説かれたのです。その説法は長きにわたったのですが、完璧な教えゆえ、一人として聞き漏らすものはいませんでした。そうして、日月燈明仏は、お亡くなりになられたのです。私はその時、妙光菩薩という名前で、八万の弟子がいましたが、その中に求名菩薩がいました。彼は地位や名声に執着していましたが、そのうちに心を入れ替えて、信心に励んできました。求名菩薩とは、今、ここにいる弥勒菩薩の過去世の姿です。ですから繰り返し教えを聞いてきた弥勒菩薩も必ずや幸せの境涯に至ることでしょう。この不思議な現象は単なる始まりに過ぎません。これからまさに、妙法蓮華経の教えがあまねくすべてに降り注ぐことでしょう。もし疑念があるのならば、お釈迦さまはこの法華経によってその疑念をすべて晴らしてくれるでしょう。」
まとめ
序品は法華経全体のストーリー設定であり、お釈迦さまは一言も発しません。しかし、文殊菩薩の過去の体験と、お釈迦さまの眉間から光を発する放光瑞によって、これから最後の大事な教えである法華経が説かれることがわかります。それと同時に、お釈迦さまは久遠より何度も教えを説いていること、説法は今回の法華経が最後だということ、さらには、お釈迦さまに代わる仏様の出現が予測されるのですが、序品ではここまでしか明かされないのでした。


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