私がなぜ仏教を信仰するか、お伝えします。
概要
仏教は無理がなく、平等であるから。これが私が考える答えです。
私が思うに、全知全能の神のような根源神には無理があると思うのです。なぜなら、「世界は全知全能の神が作ったという説明はわかった。じゃあその全知全能の神は誰が作ったの?」という風に、一つ答えが出たら、また問いが生まれて、終わりがないと思うのです。
また、仏教の救いには”漏れ”がありません。救われない人がいないのです。根源的に平等を説くので、私は仏教を信仰しています。
宗教を分類すると
世の中には様々な宗教があります。中でも世界三大宗教といえば、キリスト教、イスラム教、仏教です。ほかにも、実は仏教よりも信徒が多いヒンドゥー教や、ユダヤ教、日本古来とされる神道もあります。これらの教えを見ていくと、いくつか分類分けできます。
1.根源的な教祖や神の出どころ
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は、同じ「神」を信仰しています。全知全能の神がこの世界を創造されたとき、まず光を生み出し、それから6日働き、7日目に休んだとあります。
神道は、さまざまな神を信仰しますが、神が出現されるシーンは、高天の原にて天之御中主神、高御産巣日神、次に神産巣日神が出現されます。その後、さまざまな神が生まれ、イザナギとイザナミが生まれ、その子が天照大神(仏教ではてんしょうだいじん)とされます。
創世に係る記述を見るとわかるように、じゃあ、その根源神を生んだのは誰?と書かれてないのです。このように、全知全能者がすべてを作ったとすると、じゃあ、その全知全能者は誰が生んだの?と、必ず説明に無理が出てくるのです。
| 神が世界を作った |
| ユダヤ教、キリスト教、イスラム教 神道 |
| 神や仏は世界を悟った |
| 仏教、ヒンドゥー教 |
2.仏教のでどころ
それに比べ、仏教はお釈迦さまから始まります。そして、お釈迦さまは、釈迦族の王家である浄飯王と王妃摩耶夫人から生まれたと説明されています。普通の人間なのです。(仏教の宗派の中には、根源神的な説明をするものもありますが、とりあえず、今はおいておきます)
仏教の基本的なイメージとしては、普通の人間が生まれて、その人間が、この世の真理を悟り、この世の真理、法則に従って行動すれば、パワーを手にすることもあれば、幸せになれるよ!ということなのです。うん。こっちのほうが、無理がないとは思いませんかね?
3.思想的な違い
ユダヤ教などに代表される思潮をヘブライズム文化といいますが、ヘブライズム文化のいいところは、科学とか哲学が発達する点です。何せ、神が自分の姿に似せて人を造り、その下に動植物を造ったとされるので、神→人→自然という構図が成り立ちます。自然は人よりも下なので、人は自然を自由に実験してもいいという発想になるのは当然かもしれません。ちなみに、奴隷は人より下なのでOKという思想が根強く残りました(東洋の奴隷は別の意味で根強く残りましたけど)。したがって、科学が発達しました。さらに、科学が明らかになることで出てきた矛盾を解消すべく、哲学が発達しました。また、学問の蓄積があるので、後の学問の方が優れているという風に、時間の流れが一方向の考えになりました。
| 神 |
| 人間 |
| 自然 |
それに対して、仏教などの東洋思想は、根源神がいないので、仏・神→人・自然という構図になりました。人と自然は同等なので、むやみに実験したりしてはいけないとされました。西洋に比べて科学は発達しませんでしたが、自然や自分の心を観察する経験則が身に付きました。したがって、生き物は死んだら土に戻り、土からまた生き物が生まれるといった、循環の考え方が主流となりました。循環するから、一方では大工の子は大工、農民の子は農民という考えも残りました(なので、奴隷の子は奴隷という負の側面も根強くのこりました)。東洋の代表的な時間の流れは、一方向ではなく、円の考え方、循環の考え方となりました。これが輪廻思想です。
| 仏・神 |
| 人・自然 |
地獄に落ちた人は救われるのか
次に、漏れなく救われるのか?という点についてみてみます。
多くの一神教では、終末論や最後の審判が説かれています。「終末が来て最後の審判があるから、その時に神に好かれる人になっておこうね!」的なやつです。そして、地獄に落ちたら、永遠に地獄のまま。天国に行けたら、永遠に天国のままです。
仏教では、因果を説きます。「原因があったから、結果がある」という考え方です。したがって、仏教で地獄に落ちる人は、原因があったからで、その原因に見合う刑期が終わったら、もしくは、地獄の中で地獄から出られる原因を作れば、地獄から救われます。
ただ、一考を要すのが、前述した輪廻思想です。宗派によっては、同じ境涯を繰り返すので、成仏できないタイプの人は、永遠に成仏できないと教える教義もあります。
しかし、仏教における一番の極悪人である提婆達多は、一旦地獄に落ちるけど、法華経では救われています。その点において、仏教の本質は、みんな救われるのだと考えます。
というのも、仏教の本質的な願いが、輪廻転生の鎖から解き放たれて、成仏するということ、また、仏の一番の願いが、みんなを成仏させることだからです。
まあ、最後は自分の「決め」ですけどね
そもそも宗教は、科学的に証明できないので、心の因果を説明する「説明付け」でしかありません。親がやっているから、それだけの理由で信仰している人もいるかも知れませんね。
ご自身の考える信仰をしている人を、とやかく言うつもりはありません。だって、おそらく、みんな「幸せになりたい」とか、「安心を得たい」とか、「平和になりますように」とか、向いている方向性は同じだと思うから。しかし、惰性で、周囲の勧めで、その信仰をやっている人がいたら、一度、ご自身がどんな教義の信仰をしているのか、きちんと自分の頭で考えてみるといいかも知れませんね。
私は、自分の信仰を信じ、考え、迷っている人がいたら、その人に勧めます。


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